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天皇賞馬サクラユタカオーが死亡

2010年11月28日 20時35分

1986年秋の天皇賞馬で、種牡馬としても一時代を築いたサクラユタカオー(セン28歳、父テスコボーイ)が11月23日、新ひだか町の乗馬施設「ライディングヒルズ静内」で老衰のため死亡した。
同馬は84年12月の新馬戦をレコードタイムで快勝。デビューから3連勝でG3共同通信杯4歳Sを制し、クラシックの有力候補に名乗りを挙げた。しかし、クラシック直前に右前脚を骨折し、休養を余儀なくされた。古馬になるとG2大阪杯を制覇。秋にはG2毎日王冠、G1天皇賞・秋をともにレコードタイムで優勝し、優れたスピード能力を示した。
通算12戦6勝の成績を残し、87年に現役を引退。当時としては高額の総額5億円(1株1000万円×50株)のシンジケートが結成され、静内町(現・新ひだか町)の静内スタリオンステーション(2004年9月閉場)で種牡馬入りした。
種牡馬としては、サクラバクシンオー(スプリンターズS2回)、ウメノファイバー(オークス)、エアジハード(安田記念)、サクラキャンドル(エリザベス女王杯)といったG1ウイナーをはじめ、数多くの重賞勝ち馬を輩出。輸入種牡馬全盛の時代に内国産種牡馬のエースとして君臨した。また、母の父としてもクィーンスプマンテ(G1エリザベス女王杯)、ロジック(G1NHKマイルC)、タムロチェリー(G1阪神ジュベナイルフィリーズ)などを送り、後世に貴重な血を伝えている。
順風満帆な種牡馬生活を送っていたが、供用11シーズン目の97年頃から受胎率が低下し、99年には89頭に種付けしたが1頭も受胎しなかったことからシンジケートが解散。有志15名が集まり、再度シンジケートが結成されるも状況は好転せず、00年シーズンを最後に18歳の若さで種牡馬生活にピリオドを打った。
種牡馬引退後は去勢され、静内町(現・新ひだか町)に寄贈。同ヒルズがオープンした01年から功労馬として余生を過ごしていた。同ヒルズによると、1カ月ほど前から体調悪化により馬房で静養しており、23日早朝に馬房へ行った時にはすでに息を引き取っていたという。
同馬が過ごした馬房には祭壇が設置され、在りし日の遺影やファンからの花が飾られている。新ひだか町は12月中旬に関係者による「偲ぶ会」を計画。来春には同馬が種牡馬時代を過ごした二十間道路沿いにある桜舞馬公園(オーマイホースパーク)に墓石を建立する予定だ。

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