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「サクラユタカオーお別れ会」関係者が最後の別れ

2010年12月26日 21時41分

老衰のため11月23日に新ひだか町の乗馬施設「ライディングヒルズ静内」で死亡したサクラユタカオー(父テスコボーイ、享年28歳)のお別れ会が12月18日、新ひだか町二十間道路沿いの桜舞馬公園(オーマイホースパーク)で執り行われ、内国産種牡馬として一時代を築いた優駿に最後の別れを告げた。
当日は降雪の中、酒井芳秀新ひだか町長、生産者である藤原牧場の藤原悟郎代表、シンジケート会の会長だった服部和則氏、主治医だった中島滋日高獣医師会顧問ら関係者が参列。遠くから駆けつけた一般ファンも見守った。
お別れ会では同公園内の馬魂碑に鬣とともに遺骨を納骨。読経後、酒井町長、藤原代表、服部氏らが献花した。酒井町長は「多くの関係者やファンに夢と希望を与えてくれた」と式辞。中島顧問は「生まれた時から独特の雰囲気を持っていた。とても賢く愛嬌のある馬で、病気になってからも気丈に振舞っていました」と弔辞を述べた。最後に町から藤原代表に感謝状を贈呈。藤原代表は「私にとっては教科書のような存在。安らかに眠ってほしい」と愛馬を労った。
サクラユタカオーは1984年12月のデビューから3連勝でG3共同通信杯4歳Sを制覇。しかし、クラシック直前に右前脚を骨折し休養を余儀なくされた。古馬になるとG2大阪杯に優勝。秋にはG2毎日王冠とG1天皇賞・秋をともにレコードタイムで制した。87年に種牡馬入りするとサクラバクシンオー(G1スプリンターズS2回)、ウメノファイバー(G1オークス)、エアジハード(G1安田記念)、サクラキャンドル(G1エリザベス女王杯)といったG1ウイナーをはじめ、数多くの重賞勝ち馬を輩出。輸入種牡馬全盛の時代に内国産種牡馬のエースとして君臨した。
受胎率低下のため、2000年シーズンを最後に種牡馬を引退。その後は町の所有として01年からライディングヒルズで功労馬として余生を送っていた。来年4月に同公園に墓誌が建立される予定。

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