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「さようならオグリ」、800人が最後の別れ

2010年07月30日 12時10分

7月3日に右後肢骨折のため繋養先だった新冠町の優駿スタリオンステーションで死亡したオグリキャップ(牡25歳、父ダンシングキャップ)の「オグリキャップ号 お別れ会」が29日、新冠町レ・コード館町民ホールで行われた。全国から訪れたファンや関係者は約800人。1980年代後半の一大競馬ブームを巻き起こしたアイドルホースの冥福を祈った。
お別れの会ではオグリキャップの数々のレースを大型スクリーンで放映。土川健之JRA理事長からは、JRA全10競馬場で集められた1万3957人分の追悼記帳と感謝状が、会の主催者である(株)優駿の村田繁實代表に贈呈され、「あなたのひたむきに走る姿はファンに感動を与え、社会における競馬のイメージを大きく変えてくれた」と追悼の意を表した。
また、地元の小竹國昭新冠町長は「新冠町の名を全国に知らしめた功績は大きい」と感謝。オグリキャップの初代馬主だった小栗孝一氏は「あなたほど競馬ファンに愛された馬はいないでしょう。ありがとう」と声を詰まらせながら挨拶し、生産者の稲葉裕治氏が「頑張れば報われるという象徴であり続けた。あなたの築いた血統を絶やすことなく守り続けていくことを約束します」と別れの言葉を述べると、会場には参列者のすすり泣く声が響いた。
JRA時代に管理した瀬戸口勉元調教師は「今年5月に会った時は元気そうだったのに」としんみり。現役時代は扱いやすく「ラストランとなった有馬記念でオグリコールを聞いた時には感動で涙が出た。オグリに出会えて幸せでした」と振り返り、笠松時代に騎乗した安藤勝己騎手は「自分の未来を切り開いてくれた馬です」と思い出を語った。
さらに、引退レースの手綱を取った武豊騎手からは「競馬に対するイメージを変えた馬。今度はオグリキャップを知らないファンにスーパーホースの凄さを伝えていきたい」とメッセージ。現役時代に鎬を削ったライバルのイナリワン、ヤエノムテキ、スーパークリークからも「君と戦ったことは誇りに思う」と弔電が寄せられた。
関係者が献花した後には、一般参列者が最後の別れ。競馬場のターフを模した祭壇中央に飾られた在りし日のオグリキャップの写真に手を合わせ、「ありがとうオグリ」「さようならオグリ」と、思い思いの言葉を贈った。
ファンに夢や希望、勇気を与え、日本競馬界に多大な功績を残したオグリキャップ。今後は一周忌までに、優駿SSに隣接する優駿メモリアルホース内に墓石が建てられる予定という。

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