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さよなら、偉大なるジョンヘンリー

2007年10月11日 12時55分

現地時間10月8日、米ケンタッキーホースパークで余生を過ごしていたジョンヘンリーUSA(セン32)に安楽死の処置が取られた。
ジョンヘンリーUSAは、この夏の暑さで何度か脱水症状に陥り生命の危機にさらされたが、ホースパークのスタッフが特別にエアコンを設置するなど、懸命の対処を行った結果、何とか小康状態を保っていた。
しかし、7日から容態が急変。肝機能が失われ、脱水症状が進行。最早手の施しようがないと診断され、生産者のヴァーナ・レーマン氏や、ホースパークのスタッフらが見守る中で安楽死の処置が取られた。
ジョンヘンリーUSAは父オールドボブバウワー Old Bob Bower、母ワンスダブル Once Double(母の父ダブルジェイ Double Jay)という血統の米国産馬。
当初は評価が低く、最初に売却されたときの値段が僅か1100ドル。以降も何度か転売を繰り返されている。2歳5月にデビュー(1着)、ハードに使い込まれつつ下級条件からのし上がった。初重賞制覇は3歳9月のG3ラウンドテーブルHで、キャリア27戦目、初G1制覇は5歳3月のG1サンルイレイSで、キャリア45戦目という“苦労人”だった。
G1サンルイレイSの勝利以降本格化。翌6歳時にはG1・5勝を挙げ、米年度代表馬に選ばれた。7歳時には創設間もない第2回のジャパンカップにも来日。残念ながら13着(勝ち馬ハーフアイストUSA)に敗れたが、ジャパンカップの世界的知名度アップに一役買ったことは間違いない。
種牡馬入りの道を絶たれたセン馬であることから、以降もタフに走り続けた。そして9歳時にG1・4勝。2度目の米年度代表馬に選出され、このシーズンで現役を退いた。通算成績は2~9歳時83戦39勝、うちG1・16勝。獲得賞金659万1860ドルは当時のレコードだった。
米国の国民的な人気と尊敬を集めた一頭だった。90年には競馬博物館名誉の殿堂入りも果たしている。
ケンタッキーホースパークでは10月19日にジョンヘンリーの追悼式典を行うと発表している。

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